歴史と食欲と…

5月4日: 今回も本題休題、そして、閑話開始...。 最近通勤時間が短くなり、本を読む量が少なくなった。また、読む量が減るにしたがい、読むスピードも遅くなった。昔は、短編小説であれば、1日で読みとおすことができたが、今では、本を買うことと自体が億劫となってしまっている...。昔は色々と本を読んでいたので、一度読んだ本を繰り返し読むことはしなかったが、最近、何気に購入した宮城谷昌光氏の「歴史の活力」という本は繰り返し読んでいる。 宮城谷氏については、前職で一緒だった方からご紹介を受けた。ただ、最近は複数巻ある歴史小説を読む時間もないので、なかなか読むチャンスがなかった...。しかし、先日の東京出張の際に時間が空いたので、本屋に行き、何気に宮城谷氏の随筆を購入した。 この本は色々と面白いが、その中でも惹かれたのが以下のフレーズ...。 「(単に読むだけの歴史本は)古人の糟粕(かす)のみなるかな」(荘子)「物ごとは、書物に書かれている文字のまま心得ると、はずれることがある。書物をよく理解して、その意の深いことをしるべきである」(鍋島直茂「壁書」) 「現在」が「過去」との連続性を保つ以上、「歴史」を知ることで、いかに今後の「未来」を予想するかが重要である。しかし、書物に書かれている歴史を知るだけでは、「糟粕(かす)」を知るだけである...。 歴史といえば...中国戦国時代の趙の名将趙奢の息子で趙括というものがいた。趙括は様々な兵法書を諳んじる事が出来たが、実戦では、そのときの状況や地形、四季等に基づいた対応が出来ず、長平の戦いにおいて、秦の白起将軍に惨敗してしまい、何十万人の死者や捕虜を出してしまった...。(その捕虜も生き埋めとされてしまった。) 兵法を書物として知っていただけの趙括と今の私とどれくらいの違いがあるのかとたまに考える時がある。また、趙括と一兵卒から急に漢の大将軍になった韓信と何が違うのかも考える時がある。韓信も様々な兵法書を諳んじる事が出来た。また、大将軍になるまでは、兵を統帥することも無かった。でも、大将軍就任後は、漢の兵を統帥し、向かう敵に連戦連勝であった...。 鍋島直茂が言う様に、いかに、歴史の「事実」を知るだけでなく、奥にある「真実」を知ることができるか、「その意の深いこと」を知るのかが重要である。私も、「その意の深いこと」が理解できるように、精進したいと考えている。もちろん前向きには、過去を学ぶことで、自分を含め、自分とかかわる全ての人が、また、将来の人々がハッピーになればと思っている。反面、後ろ向きには、趙括のように、亡くなられて2000年以上経つのに、いつもこれらの引き合いに出されるのは堪らない...。でも、このようなことを考えさせるきっかけとなっている趙括には大変感謝しなければいけない。 最後に...。歴史の当事者だった人たちは、自分が経験した悲惨な状況は二度と体験したくないと思っている。また、反面、経験した成功は、再度体験したいと思っている。しかし、いったんこれらの体験が「歴史」に移行すると、「その意の深いこと」(「真実」)を知るのが難しくなってくると感じている...。新聞等を読むとそう考えてしまう、今日この頃である。 なにかよくわからない内容になってしまったが、もうすこし宮城谷氏の本を読んでみようかと思う。 あ!食欲の事を書き忘れました!出張時の美味しいご飯の事を書こうかと思いきやすっかり忘れてしまいました。このあたりは次回以降に...。